→→続き→→
結局、イギリスのその時代の政策は自国の利益のみに走っていたとも取れるかもしれませんね。これは戦争反対、という平和を求めていると言うよりは取り合えず、自分と自分の陣地(植民地)だけ守っとこうっ!というノリですね・・・。しかもこの時期はですね、丁度日本軍がアジアのイギリスの植民地、香港やシンガポールに攻め込もうとしている時期なんですよ。そっちを守る兵を確保したかった、という時代背景を書いてある資料がいくつかありましたよ!
>>ではラインラント進駐時に英仏が軍事制裁をかけ、ドイツが素直に撤退した場合を考えます。
当然、国際社会はドイツにペナルティを与えようとする筈です。それは形骸化しつつあったベルサイユ条約を再び厳格にドイツに付き付け、ドイツの経済力と軍事力を両方とも締め上げる事になっていたのは間違いないでしょう。
このときの「国際社会」はどの国になるでしょうね? 現在でいう191ヵ国加盟の国連(国際連合)のような国々ではありませんよね。1936年時の国際連盟はアメリカは加入しておらず、ドイツのラインラント進駐時はドイツはもちろん、日本も入っていなかったですね。当時連盟参加の大きな国は、イギリス・フランス・イタリア(1937脱退)・ソ連(1939脱退)でした。圧力をかけられるほどの大きな国は結局そういうメンバーでしたから、もしその進駐時にナチスに制裁が起こったかどうかは結構疑問が残ります。アメリカはその時ニューディール政策が失敗して景気ががたがたでしたし、ほとんど国外に干渉していません。戦争が広がればアメリカ国の石油も産業も需要が増えますから、好都合だったかもしれません。
もしイギリス・フランスがドイツのラインラント進駐の時に軍事制裁をかけたとしても、ナチスに国際的に圧力がかかったかは疑問です。ヒットラーは国際連盟の基盤の薄さをイタリアのエチオピア侵攻を見て既に状況把握していたでしょうし、進駐を企てた時に状況に応じて撤退も考えていたわけですから、もし英仏が軍事制裁をかけたとしても潔く撤退してまた時を見計らったかもしれませんね。
少々別のトピックになりますが、今年のアメリカのイラク攻撃も、アメリカの北朝鮮にする平和的な態度もこのように決して単純な解釈で読み取れるものではありません。先に述べたイギリスの自分の土地(特に経済)だけ守っとこうっ!的なノリが特に右派に強いです。あんなに強硬な態度(条件)で突然イラクを攻めたのに、なんで北朝鮮を「危険(テロ)国家」として「先制攻撃」をしないんでしょうね? いろいろ資料をお読みになればきっと面白いと思いますので、ぜひJSFさんの主張を深める為に、参考にしてみてくださいね!
それではまた、ちかいうちに!週末は今年最後の海に行きます。ボディーボードもっとうまくなれるように、がんばります〜〜!
何回か自分の書き込みを読み直したんですけど、JSFさんに「さん」が抜けてたり、同じ内容を何回か繰り返したり、文読みづらいですね。反省です。もし、意味が通じない場所があれば、分かりやすく書き直しますね。では!
(8月23日6時49分) |